愛してる、愛してない。
「オペラ座の怪人」のクリスチーヌ・ダーエは、オペラ座の怪人エリックが扮する音楽の天使に導かれて、煌びやかなオペラ座から、暗く深い湖の向こうにある世界へ踏み出して行った。
2018年4月15日11時。
関ジャニ∞の渋谷すばるも、音楽の神様の導きによって、ジャニーズという煌びやかな舞台から、何の保証もない外の世界に踏み出してしまった。
自分の音楽を突き詰めるために、事務所を辞める決断をした。それほどまでに魅力的な、音楽って一体なんなんだろう。
音楽の神に愛された渋谷すばる。
わたしはすばるが嫌いだった。
センターに相応しい類い稀なる美しい容姿で、魂を震わせて歌うすばるは、2005年の夏に、わたしの大好きな横山さんと村上くんに「一生面倒見てください」と発言した。
わたしが世界一大好きな人2人に一生面倒見てもらえる、世界一幸せな人間であるはずのすばるは、それでもなぜか精神的に不安定だった。
「ずっと暗闇にいて、誰も助けてくれない」と嘆く歌を歌っていた。
なぜ?わたしの大好きな人はあなたを一生面倒見ると約束しているのに、どうしてそんなに不幸な顔をするの?
わたしは、わたしの大好きな2人を独占して、それでも不幸だと嘆くすばるに嫉妬していた。
この点に関してだけ、わたしはすばるが大嫌いだった。
2006年の秋、渋谷すばるwith大倉BANDの東京フォーラムでのコンサートを、3列目ドセンで見たわたしは、マイクを通さずにありがとうと全身で叫ぶ渋谷すばるの姿を見て、「この人は一生ステージの真ん中で歌わなければならない。そのためにできることがあればなんでもする」と思った。メンタルが不安定だったすばるが、自分の過去ときちんと向き合い、新しい一歩を踏み出す契機となったコンサートだったと、本人も認めていた。事実それまで数公演こなすと不安定になってMCでは一切喋らないなんてこともしょっちゅうだったすばるの喉が、この後は何公演こなしても全くブレなくなった。
一介のおたくにできるすべてのことは、すばるの歌う場所を確保するべく、チケットを買って席を埋めることだけだった。発売されるCD、DVDを全部買い、なるべくたくさんコンサートに行った。
音楽の神に愛された渋谷すばるは、どんどん大きくなっていった。
各方面でその歌が評価された。歌だって演技だってできる。バラエティもできる。映画を撮って世界に行った。一人でいろんな曲を歌えるようになって、一人でなんでもできるようになった。
いつのまにか歌詞も「音楽があれば生きていける」「枯れたってまた咲く」「生まれてきてくれてありがとう」「生きろ」とどんどん前向きに、力強いものになっていった。
わたしの大好きな2人に一生守られているすばるは、それにふさわしいほど幸せになった。これこそがわたしの大好きな2人に守られている人のあるべき態度だ、と、思っていた。
わたしはすばるを愛してる。その顔を、身体を、歌声を、魂を愛している。心からそう言えるようになった。
手にした幸せを、どうしても捨てないと生きていけない人種がいる。
自分自身を追い詰めて真剣に向き合うことでやっと嘘じゃないと確認できる、そういう人がいる。
もとからすばるはそんな人だったような気がする。
そんなすばるが、何かに守られた状態で新しい一歩を踏み出すことなんてできるはずがない。
全てを捨てないと、一歩も動けない。そんな不器用さが、なによりも渋谷すばるを表していると思う。
一生お世話してくださいとわたしが大好きな2人に約束させたはずなのに、泣いて引き止める2人の手を振り払って、渋谷すばるは出て行く。
わたしは関ジャニ∞から三馬鹿の誰か一人でも欠けたらもう終わりだと思っていた。
でも、どうやらそうじゃないらしい。
関ジャニ∞は心臓を失うけど、それでもちゃんと生きている。これからも、続いて行く。
音楽の神様は、関ジャニ∞から、ジャニーズ事務所から、渋谷すばるを奪ってしまった。
ああ、すばる、あなたが今踏み出そうとしている鏡の中の世界は、途方もなく広くて、真っ暗闇な地下の湖が広がっています。
でも、オペラ座の地下の湖はセーヌ川に繋がっている。川に出られれば、海にだって行けるかもしれない。
海の先には、世界がある。
わたしが大好きな関ジャニ∞を選んでくれなかったあなたを、わたしはそれでも愛してる。
あなたがせざるを得なかった決断を、悔しいけど、寂しいけど、悲しいけど、辛いけど、それでもわたしは尊重します。
今までたくさんの歌を、愛を、魂をくれてありがとう。
世界を知ったあなたが、またジャニーズと、関ジャニ∞と同じ舞台に立ってくれる日が来るのを、わたしは祈っています。
さようなら、関ジャニ∞の、クリスチーヌ・ダーエ。